モンサンミッシェルはもともとモントンブ(Mont Tombe) と呼ばれていた。石塚、あるいは墓を意味するラテン語のtumbaに由来する名である。
西暦708年、アヴランシュのオベール司教の夢に大天使が現れ、岩の上に教会をたてるよう厳命したという。聖オベールが夢を疑ったので、空からの訪問者は三度も夢にあらわれなければならなかった、三度目は、聖ミカエルはなんと指で彼の頭蓋骨に穴を開けた。
オベールはようやくメッセージを理解し、492年に聖ミカエルがあらわれたといわれる南イタリアのモンテガルガーノ教会を複製した礼拝堂が建てられた。
英国との百年戦争でも、英国の攻撃を完璧に防御した防壁や要塞を構えている。
モンサンミッシェル湾は、満ち潮の旅にもたらされる沈殿物で、しだいに埋められてきている。かつては沿岸河川のクエノン川、セリューヌ川、セー川が、河床外に流れ出て放水効果を生み出していたため、沈殿の速度が鈍っていた。ところが、19世紀の半ばから堤防を建設し、干拓地を確保するために川の流れが変えられた。そのため砂の堆積する速度が早まり、一世紀の間に1億立法mの過剰沈殿物が堆積されたという。
また、モンサンミッシェルのまわりの海底は、今世紀初頭の水準から3m近く上がっている。これを防ぐために、沈殿物を沖まで放水できるだけの水力を再び河川に与えるための大がかりな工事が計画されている。また、駐車場を遠ざけ、モンサンミッシェルに至る堤防の一部を壊して、細い歩道橋を代わりに造る予定である。
修道士 moine と修道院 monastere は、いずれも『独りで』という意味のギリシア語 monos に由来する。修道士とは、神に気に入られるために、独りで浮世から退いたものである。単独で暮らす修道士は、隠遁者、あるいは隠者と呼ぶ。
中世の宗教的概念において、天使の軍団長であるミカエルは大きな影響を及ぼした。新約聖書においてミカエルはヨハネの黙示録に登場し、悪魔の象徴である竜と戦い、それを打ち倒した。来世への不安を抱えて生きていた中世の人々にとって、ミカエルは、死者を導き、最後の審判を迎えた日の魂を癒すとされていた。
売店で購入したガイドブック「モンサンミッシェル」およびパンフレットより抜粋