ホームへリンクする家の画像ホームへ

ハンザ商人

1200年代になると北ドイツの商都市は勢力を増し、自治権を獲得し、「ハンザ同盟」という形で提携した。メンバー都市を「ハンザ都市」、その都市から来る商人を「ハンザ商人」という。
ハンザ同盟は常駐する四つの海外拠点を設置した。これらの拠点を「貿易事務所」(コントール)と呼び、それぞれブルージュ(1347頃〜1563)、ロンドン(1282以前〜1598)、ノヴゴロド(1200中頃〜1494)、ベルゲン(1360頃〜1754)に置かれた。ただし、これら4都市はハンザ同盟に加入していたわけではない。
ベルゲンに貿易事務所が設置されたのは1360年頃で、当時ノルウェーでは黒死病(ペスト)が蔓延し、バルト海周辺から運ばれて来る小麦に頼らざるをえなかった。ハンザ商人がこの小麦の流通を握っていたのである。

交易とその商品

ハンザ商人たちをベルゲンに引き寄せたのは何といっても干し魚である。お目当ては鱈で、1月下旬から3月中旬までロフォーテンで獲れた鱈を吊るし干しにしたものである。ロフォーテンの寒風にさらされると品質最高の干し鱈ができあがる。
ハンザ商人たちは、肝油や革、毛皮、バター、獣脂などを北部の人から買いつけ、穀物、小麦、麦芽、塩、ビール、ホップ、麻、布地、鉄製品、ガラス器などを売り物にした。

ハンザ博物館と集会場(マルコ・トレッビ)より


ブリッゲンのページに戻る