最盛期のプラハは「黄金のプラハ」と呼ばれ、アヴィニョンやニュルンベルクと並ぶヨーロッパ三大都市の一つだった。14世紀にヨーロッパのほかの都市は不況に見舞われたが、プラハでは経済が停滞しなかったばかりか都市としての機能も発展を続けた。
旧市街の9000平方mという大きな広場では、市が開かれ、馬上試合や公開処刑が行われた、広場に面して建てられた旧市庁舎は、すぐに手狭となった。
『ユネスコ世界遺産』より
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