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ペドロとイネス

この二人の悲恋物語は、今もポルトガルの人々に語り継がれ、文学や演劇の題材にもしばしば取り上げられている。
国王アフォンソ4世の嫡子ペドロはカスティリア王国の有力貴族の娘コンスタンサ・マヌエラと政略結婚した。ところが、ペドロはコンスタンサに付き添ってきた女官イネス・デ・カストロに心を奪われ、激しく恋するようになる。やがて二人は逢瀬を重ねるようになったが、激怒した父王はコインブラのサンタ・クララ修道院にイネスを幽閉する。しかし、諦めきれないペドロは、王宮を抜け出し彼女のもとに通い続けた。
そして、妃コンスタンサがフェルナンド王子を産み、若くして没すると、ペドロはイネスと公然と暮らすようになり3人の子も授かった。しかし、父王とその重臣たちは、世継ぎであるフェルナンド王子の行く末を案じ、またカストロ家の影響力がイネスの子供たちに及ぶことを恐れた。
1355年1月、国王の家臣らによりイネスは首を掻き切られ、彼女の遺体はサンタ・クララ修道院に埋葬された。2年後、父王が崩御し、国王ペドロ1世となった王子は、イネスを殺した者たちを探し出し、生きたまま心臓をえぐるという残酷な形で恨みをはらした。また、イネスの亡骸を掘り起こし、彼女を王妃とするための戴冠式を行い、忠誠の証として家臣たちに遺骸の手にキスをすることを求めたという。

講談社刊『ヨーロッパの世界遺産』より抜粋


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