スペインへの道
バレンサ・ド・ミーニョからは、ミーニョ川にかかる橋を越えると、もうそこはスペイン。ポルトからもサンチャゴ・デ・コンポステーラへ行く1日のツァーがあり、ポルトガルからだと陸続きで比較的簡単に行くことができます。マドリードからの方が距離があるので、普通は陸路ではなく空路にするようです。車は、エスパーニャの標識を通り越し、いとも簡単に国境を越えて行きます。地続きで国がつながっているというのは、外国に行くという日本人のイメージとはかなり隔たりがあります。スペインからもミーニョ川を越え、日用品をポルトガル側に会に来たりするそうですから。
あまりに簡単に道を間違わずに走行しているうちに、なぜか、ビーゴ(Vigo)で一般道に降りてしまいました。本線だと思っていたのに。真中の車線を走っていたら、本線からはずれてしまっという訳です。仕方がないので、ビーゴの町を勘を頼りに走りました。なんせ、細かい地図を持っていなかったものですから。本線に再び戻るのに2回ほど道を間違えましたが、無事本線に戻るとなんなくサンチャゴ・デ・コンポステーラに出ることができました。
そして、一方通行の多いサンチャゴの町で、1度人に聞いただけでホテルに着けました。我々にとって、これはとても珍しいことです。
Santiago de Compostela (Old Town) 世界遺産の頁へ
サンチャゴ・デ・コンポステーラ
カテドラル正門前のオブラドイロ広場では、何か催しがあるらしく椅子が用意され、パラドールの前にはステージが設置されていました。夕方にはパラドールに泊まれずとも、せめてお茶をしたいとそちらに行きかけると、警官らしき人が通行を制御している始末。夫がパラドールに行きたいというと、通してくれましたが、一体このものものしさは何?
帰りは、フランコ通りを埋めつくさんばかりの人、人、人の群れを見て、ますます何が開催されるのか不思議に思いました。翌朝の新聞には、パバロッティのコンサートがあったと告げており、パラドールに滞在していたらただでコンサートを聞けたのではないかという考えが頭をかすめました。しかし、それだからこそ4か月前でもパラドールが満室だったのです。
2004年は聖ヤコブの年とかで、いろいろ催し物があったようです。
カテドラルの中に入ると、まず目につくのは、入場した人たちが触りにいく柱です。やっと聖地にたどりついたいう印を残していくらしく、手形で柱は大きく窪んでいます。皆、記念の写真を撮るので柱を触る人で列ができており、キリスト教徒ではない私でも、このカテドラルが他のカテドラルとは明らかに違う別格の存在だというのが、ひしひしと伝わってきました。
裏手の門からは、聖ヤコブの像を触るために、また人々が列を作っていました。正面の祭壇の中に金色の聖ヤコブの像が安置され、皆それに触れて祈っていきます。巡礼の道を何カ月もかかって歩いて辿り着いた人々には、さぞかし感慨深いものがあったに違いありません。ショートカットしてきた異教徒の我々には、はかり知れないものがあります。
カテドラルに向かう道は何本もありますが、これはフランコ通り。正面にカテドラルが見えています。
旧王立病院だったところは、現在では五つ星のパラドールになっています。
フランコ通りのレストランで食べたランチ。日本では,あさりを生で食べたことはありません。所変われば、といった所でしょうか。
大きなペルセベスです。大中小とサイズ別に料金が分かれ、せっかくだからと大200gだけ注文しました。初めてツァーでマドリードに行ったときから、ペルセベスを食べたいと願っていたのがやっとかないました。塩気がちょうどよく、磯くさくておいしかったです。ただ、日本円にすると4千円ぐらいで、上のアサリは2千円ぐらい。何て高いんだ、というのが正直な感想。